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・・・・日本とポーランド・・・・

親日的な国民感情

◆日本が大好きな人々

盆栽サムライ ポーランドは日本から遠い国ですが、ポーランドの人々の多くは日本にとても親しみを持っています。今や日本食ブームは世界的なものになっていますが、ワルシャワにも日本人のオーナーやシェフが腕をふるう本格的な日本料理店が数軒あり、ポーランド人が経営するスシ・バーにいたっては100軒以上もあります。
 また、市内には柔道・空手・剣術・合気道の道場がたくさんあり、弓道場もあります。東欧は(今は中欧と呼ばれることが多いですが)、もともと日本の武道が盛んなところなのです。ワルシャワ市内には、柔道を体育の正課としている学校、日本舞踊や折り紙を教えている学校、日本文化研究クラブのある学校などもあります。ときには、ワルシャワ市盆栽協会主催の盆栽展が行われたり茶道教室が開かれたりすることもあります。

◆日本学

ワルシャワ大学今、若い人の間でブームになっているのは日本のアニメです。マンガが縁で日本語や日本文化に興味を持つようになった高校生や大学生もたくさんいます。
 ワルシャワ大学には日本学科(日本語学科ではなく日本学科)があり、毎年20倍から30倍の受験者が殺到する超難関となっています。学生のほとんどが8年間の在学中に1~2度は日本に留学します。日本学科のある先生は、「留学生の多くが日本の学生から“おまえの日本語は古くさい”と言われて“新しい日本語”を覚えて帰ってくるため、帰国後に正しい日本語に戻すのに骨が折れるのです」と、苦笑しながら語っておられました。同学科で教えるのは、国語審議会が認める正統な日本語で、将来大臣クラスの通訳をすることになっても通用するレベルを目指しているのです。大学3年終了迄に2000字近くの常用漢字をマスターしなければ転科または退学となるため、学生たちは授業以外に毎日6時間の自宅学習をしているとのことです。

◆高い日本語教育レベル

日本語弁論大会 ワルシャワでは、毎年3月頃に日本大使館主催の日本語弁論大会が行われ、各大学から学生が出場します。近年は、クラコフのヤギェウォ大学やポズナニのアダム・ミツキエヴィッチ大学の学生が優勝することもあり、ワルシャワ大学の学生も安穏としておれない状況のようです。
 ヨーロッパ各国で開催される日本語弁論大会のために巡回している日本人審査員によれば、ポーランドの大学はいずれも日本語のレベルが非常に高いとのことです。本当の実力は、弁論のあとで行われる審査員との自由討議でよくわかるからです。美しい日本語でよどみなく発表した学生でも、その後の審査員との一問一答のやりとりでしどろもどろになることがあるそうです。
 日本学科学生や研究者の関心は、日本語という言語そのものにかぎらず、日本の文化や歴史などにも大きく向けられています。さらに、彼らの研究対象は、日本文化と深い関わりのある中国や韓国の文化・言語にまで及んでいます。そこには、すそ野の広い研究と教育の姿勢が感じられます。彼らの高い日本語能力は、こうした幅広く層の厚い学習と研究姿勢によるものなのでしょう。

<おすすめ動画>(YouTubeリンク)
★ワルシャワ大学日本学科の学生が四字熟語を駆使して街を案内します.(7分)

★私が日本を好きな理由/ポーランド人女子高校生が語る日本の魅力(3分)

★ポーランド親日事情①/河添恵子 AJER2012.5.23(1) (13分)

★ポーランド親日事情②/河添恵子 AJER2012.5.23(2) (14分)

★ポーランドの人は、日本人になりたいほど日本が大好き!(10分)


◆ありがとう、ワイダさん。

◇大災害の日本に向けたアンジェイ・ワイダ監督からのメッセージ   2011年3月21日
アンジェイ・ワイダ監督からのメッセージ
 

日本の友人たちへ。

このたびの苦難の時に当たって、心の底からご同情申し上げます。深く悲しみをともにすると同時に、称賛の思いも強くしています。恐るべき大災害に皆さんが立ち向かう姿をみると、常に日本人に対して抱き続けてきた尊敬の念を新たにします。その姿は、世界中が見習うべき模範です。
 ポーランドのテレビに映し出される大地震と津波の恐るべき映像。美しい国に途方もない災いが降りかかっています。それを見て、問わずにはいられません。「大自然が与えるこのような残酷非道に対し、人はどう応えたらいいのか」
 私はこう答えるのみです。「こうした経験を積み重ねて、日本人は強くなった。理解を超えた自然の力は、民族の運命であり、民族の生活の一部だという事実を、何世紀にもわたり日本人は受け入れてきた。今度のような悲劇や苦難を乗り越えて日本民族は生き続け、国を再建していくでしょう」
 日本の友人たちよ。
 あなた方の国民性の素晴らしい点はすべて、ある事実を常に意識していることとつながっています。すなわち、人はいつ何時、危機に直面して自己の生き方を見直さざるをえなくなるか分からない、という事実です。
 それにもかかわらず、日本人が悲観主義に陥らないのは、驚くべきことであり、また素晴らしいことです。悲観どころか、日本の芸術には生きることへの喜びと楽観があふれています。日本の芸術は人の本質を見事に描き、力強く、様式においても完璧です。
 日本は私にとって大切な国です。日本での仕事や日本への旅で出会い、個人的に知遇を得た多くの人々。ポーランドの古都クラクフに日本美術・技術センターを建設するのに協力しあった仲間たち。天皇、皇后両陛下に同行してクラクフを訪れた皆さんは、日本とその文化が、ポーランドでいかに尊敬の念をもって見られているか、知っているに違いありません。
 2002年7月の、あの忘れられないご訪問は、私たちにとって記念すべき出来事であり、以来、毎年、私たちの日本美術・技術センターでは記念行事を行ってきました。
 日本の皆さんへ。
 私はあなたたちに思いをはせています。この悪夢が早く終わって、繰り返されないよう、心から願っています。この至難の時を、力強く、決意をもって乗り越えられんことを。
    ワルシャワより  アンジェイ・ワイダ

(以上、共同通信記事から引用)

アンジェイ・ワイダ氏

アンジェイ・ワイダ  ポーランドを代表する映画監督。若い頃、浮世絵など日本の芸術に感銘を受け、美術大学に入学、のち映画監督になる。『地下水道』など抵抗三部作と呼ばれる作品では、ナチスの暴虐と戦った市民の姿を描き、その後はナチスに代わってポーランドの自由を奪ったソ連への抵抗を描いた。ワレサ議長率いる「連帯」活動に参加、ポーランドの民主化に大きく貢献した。最新作『カティン』で描かれているカティンの森事件では、氏の父親もソ連軍に虐殺された4,000人にのぼるポーランド軍将校の一人だった。過去と未来をつなぐために今を生きているという信念のもとに映画を撮り続ける。映画監督として仕事に取り組む姿勢は厳しいが、ふだんは気さくな好々爺である。大の親日家で、日本の風景を描いたスケッチも多い。
★映画「カティンの森」(アンジェイ・ワイダ監督.2009年アカデミー賞ノミネート作品)予告編
★映画「ワレサ 連帯の男」(アンジェイ・ワイダ監督.最新作2013年)予告編

親日感情の背景

その1 日露戦争とポーランド

日露戦争(1904~1905)は、日本が帝政ロシア相手に戦って勝利した戦争ですが、この戦争を機に、ポーランドの親日感情が一気に高まったと言われています。この頃、ポーランドはロシアとプロシャに分割され、地図上にポーランドという国はありませんでした。当時、極東の一小国に過ぎなかった日本が、超大国帝政ロシアを相手に互角に戦い、そして勝利したことは、ロシアに長年支配され続けていたポーランドの人々に強い衝撃を与え、自由と独立への希望がめばえたのです。さらに、ロシア軍の前線には多くのポーランド人が兵士として送り込まれていましたが、日本軍は捕虜としたこれらの人々をきわめて人道的にあつかい、本国に送り返しました。日本人の「武士道精神」としてポーランドの人々に語り継がれています。

日本海海戦日露戦争
(日本海海戦:三笠艦橋の図)
(日本軍将校と捕虜のロシア軍将校)
◇「日本と日本人」

日露戦争の勝利は単に有色人種に止まらず、ロシアの圧政に苦しむフィンランドやポーランドなどへも飛び火し、民族国家独立闘争を激化させた。ポーランドの作家プルスは『クーリエ・コディゼニー』に「日本と日本人」を連載し、日本に見習えと次のように説いた。
 日本人の最も優れているのは愛国心である。日本人の愛国心は外国人への憎しみや軽蔑に根ざしたものでなく、己に属するすべてのものに対する愛情に基づいている。軍のために何人かの者がその命を犠牲にして任務を遂行する必要が生じた場合、何人かではなく何千人もの者が自らその任務に志願するだろう。・・・(中略)・・・これが、つい二年前にはヨーロッパ人に『猿』と呼ばれていたにもかかわらず、今は敵国からも尊敬を集めている国の姿である。尊敬されたいと思うなら日本人を手本として努力しなければならない。
                             ( 平間洋一 「日露戦争と国際社会」から )



その2 シベリア孤児の救出

大正時代の日本は世界に誇れるすばらしいことをしていました。シベリア孤児の救出です。
 ポーランドは1918年まで帝政ロシアの支配下にあり、多くのポーランド人が政治犯として家族とともに極寒のシベリアに流されていました。第一次大戦が終わり、ポーランドはようやく独立を回復しましたが、ロシア革命の混乱の中で十数万人のポーランド人がシベリアに取り残されてしまいました。特に、親を失った子供たちは、飢餓や伝染病で衰弱するなど悲惨な状況にありました。ポーランドの新政府は、せめて子供たちだけでも祖国に連れ帰りたいと欧米諸国に救助を求めたのですが、ことごとく拒否され、最後に日本へ援助を求めてきました。

シベリア孤児の救出 日本政府は、ポーランドとの国交がなかったにもかかわらず、すぐに孤児救出を決定します。シベリア出兵中の日本軍が極寒の奥地に分け入り、数次にわたる救出作戦の結果765名の孤児を救出、手厚く保護して本国に帰還させました。日本を去る日、孤児たちは医師、看護師、近所の人々の首にしがみつき、泣いて離れようとしなかったそうです。
 当時の孤児の一人で2006年に亡くなられたアントニーナ・リロさんは、6歳の時にロシア極東のウラジオストクで保護され、大阪で2週間過ごした後、母国ポーランドに戻りました。彼女は、『日本は天国みたいなところだった』と周囲の人々に話していたそうです。また、リロさんは、第二次世界大戦中にポーランドでユダヤ人を助け、イスラエル政府から賞を授与されています。「日本人に助けられたので、今度は私がユダヤ人を助けてお返しした」と話していました。なお、阪神淡路大震災で孤児となった日本の子どもたちの心の傷を癒やそうとポーランドに招待したのも、シベリア孤児として日本に助けられた人たちの働きによるものです。(写真:当時の新聞記事)

◆その3 新しい国づくりの指標(第二の日本をめざせ)

 グダニスク造船所 ワレサ(レフ・ヴァウェンサ)元大統領は、1943年にポーランドの小さな村に生まれ、工業高校を卒業後、グダニスクの造船所で電気工として働いていました。第二次世界大戦後、ポーランドはソ連の監視下で表現の自由を奪われていました。造船所の仲間から信頼されていたワレサは、やがて自由を求める運動の代表者として、1980年に自主管理労組「連帯」を創設しました。
 1980年7月に食肉が50%以上値上がりしたことがきっかけで、人々は食料品の値下げを訴える行動を起こしましたが、それはやがて人間としての自由を求める運動となっていきました。社会主義政権下では命がけの行動でした。自由を求める人々の運動はさらに高まり、世界の共感を集めて、1983年にワレサはノーベル平和賞を受賞しました。そして、ついにポーランドでは、東欧における初の自由選挙が行われ、1990年ワレサはポーランド大統領に選出されました。
 大統領となったワレサは、戦争や社会主義政権下で立ち後れていたポーランドを復興させるため、人々に次のように呼びかけました。「ポーランドを第二の日本にしよう。我々は第二の日本になりたい。普通の日本の市民が体験している明るさ、自由、豊かな暮らし、そういうものがポーランドにほしい。第二の日本をめざそう。」
 ワレサは、大統領を退いてからも造船所の労働者として働きながら、自由と民主主義を守る活動を続けています。(写真:「連帯」発祥の地・グダニスク造船所正門)


日本とポーランドの距離

片思い

新婚カップル この国の多くの人がポーランドの東隣は日本だと感じている。残念ながら今のところ片思いではあるが・・・。」これは、ワルシャワ大学日本学科の先生の言葉です。
 同学科では、卒業後の就職率がそれほどよいわけではないにも関わらず、入学試験は毎年20~30倍という超難関です。学生の多くが日本への留学を希望し、毎年15~16名が念願の留学を果たします。大半の学生が大学5年間と大学院3年間、併せて8年の間に一度は日本留学をしていることになります。二度留学する学生も少なくありません。彼らは、仏教史、近世史、連歌、俳句、歌舞伎、祭祀などの研究を通して、日本に関する詳しい知識を有しており、日本文化や歴史に対する関心の高さや知識の豊富さは驚くばかりです。
 一般の人々の日本への関心も総じて高く、特に社会主義体制時代をよく知っている中高年以上の人々は、日本の技術力や経済力だけでなく、伝統文化・礼節・自由などにあこがれに近い気持ちを抱いています。(写真は相思相愛の新婚カップル。右端は友人のカメラマンだと思われます。)

日本から“遠い”わけ

北緯52度一方、日本におけるポーランドへの関心は残念ながらそれほど高くはありません。むしろ、一般的には極めて低いと言えるでしょう。私達日本人にとって、ポーランドという国はどうやら「遠い国、寒い国」というイメージが先行しているようです。確かに、サハリンと同じ高い緯度に位置し、平均気温も日本の東京や大阪に比べて10度ほど低いのも事実です。しかし、ロンドンもベルリンもワルシャワもほぼ同じ緯度なのです。ポーランドに限ってこのようにどちらかと言えば暗いイメージがつきまとうのには、他の理由があると考えられます。
 14世紀から17世紀初頭にかけてヨーロッパの大国として繁栄を極めたポーランドでしたが、18世紀末にロシア、プロシャ、オーストリアの3国によって分割され、以後123年間にわたって他国の支配を受けることになります。日本が鎖国を解いて世界に門戸を開いた頃、地図上にポーランドという国は存在しなかったのです。
 さらに、第二次世界大戦では、ナチスドイツに徹底的に痛めつけられ、アウシュビッツなどの強制収容所や絶滅収容所で多くの人々が虐殺されるなど、暗くて悲惨なイメージがどうしてもつきまといます。そして、戦後再び独立を取り戻したポーランドでしたが、ソ連の衛星国として鉄のカーテンの向こうに閉ざされてしまい、日本にとってますます遠い国となってしまったのです。

豊かな人的・文化的資源

ワルシャワ大学日本学科これまでのところ、ポーランドの多くの人々にとって、日本という国はとても親しみのある国であるようです。
 しかし、現在ポーランドは順調に経済発展しつつあり、若者の間にはアメリカ文化が急速に浸透しています。ポーランドの人々がいつまでも日本に高い関心を持ち続けるとは限りません。この国の人々は教育水準も高く、勤勉です。日本がこの国の文化的・人的資源の豊かさに目覚めて関心を抱き始めたとき、すでにこの国の人々の日本への関心が冷めていた、というようなことにならぬことを願っています。(写真:ワルシャワ大学東洋学部日本学科の研究棟)


日本の情報発信力

孤立した日本の姿

結論を言いますと、あらゆる意味で日本の国際的な情報発信は少なすぎると感じます。情報発信の姿勢がそもそも内向き、国内向けなのだと思います。

テレビ現地ワルシャワでケーブルテレビを契約すれば、およそ90チャンネルもの中から世界各国のテレビ番組を見ることができます。ポーランドの各放送局はもちろん、イギリスBBC、アメリカCNNやABCのほかにも、インドやタイの放送やアラビア語のアルジャジーラなども、見ようと思えば見ることができます。(もちろん言葉が分かりませんので本当に眺めるだけですが。)

テレビナッシングところがなぜか、その中に日本の放送は一局も見当たりません。たまに、現地局の一つで日本のアニメや古い日本映画を単発で流すくらいです。ケーブルテレビのリモコンをいじっていて感じるのは、国際社会の中で孤立したような日本の姿だったのです。

もちろん、それは現地のテレビ放送を見ながら感じたまでのことで、当時(海外在住時)はおそらく日本にとって認知度の低い国の特殊事情によるものなのだろうと思っておりました。そして、たぶん凡人には想像もつかないところで日本の積極的な情報発信やPRがされていて、この親日的な国の人々にも届いているに違いないと思っておりました。しかし、実はそうではなかったようです。

情報発信の姿勢と方法

ヨーロッパで日本の放送が見られないわけではありません。日本のテレビ番組を見るには、ロンドンから配信されている衛星放送「JSTV」なるものと契約をし、専用のチューナーとパラボラアンテナを取り付ける必要があります。日本の主要なテレビ番組を見ることが出来るのはありがたいことですが、1チャンネル(現在は2チャンネル)だけの視聴に、入会金150ユーロ、視聴料月額50ユーロですので、決して安くはありません。

ここに素朴な疑問がわいてきます。・・・JSTVは、欧州に駐在する日本人に有料で放送を配信するという商業運用が目的なのでしょうが、はたしてそのような内向きの発想だけでよいのだろうか。各国のケーブルテレビに参入し、どこかのチャンネルで常時日本の文化発信をするというような外向けの戦略的な運営はできないのだろうか・・・。

というのも、日本を好意的に理解しようとしている人々の場合でも、その作ったものを見たり話を聞いたりすると、どこか微妙なところで中国・東南アジアの生活文化様式と混同されているように感じることがあるからです。日本の文化が断片的にしか伝わっていないのです。その人々の責任ではありません。日本の情報発信方法の問題だろうと思います。

パラボラ世界中には日本文化に関心をもつ人がたくさんいると思いますが、海外在住の日本人以外で個人的にわざわざ専用のパラボラアンテナを設置してまで衛星放送を受信しようとする人は限られてくるでしょう。日本を正しく理解してもらうためには、関心のある人がいつでも手軽に情報を得ることができる方法や環境を用意することが必要だと思うのです。

日本の貧弱な国際情報発信力

実は、日本の情報発信方法についての審議が始まったのは、平成17年以降だったのです。次は、平成20年2月の「海外交流審議会答申」の抜粋です。 情報発信

さらに、この答申には参考資料として、各国の「国際放送発信状況」が添付されています。これによりますと、NHKの国際情報発信力は、アメリカCNNやイギリスBBCの10分の1程度、中国CCTVや韓国アリランTVに比べても数分の1しかないという事実をどう受けとめればいいのでしょう。NHKは過去数十年何をしていたのだろう。そして国はどう指導してきたのだろう。 情報発信

遅すぎる対応

いつの時点での調査なのかこの資料では分かりませんが、おそらくこの審議が始まった平成18年以降のものであろうと推測できます。ともかく、この資料からも日本の国際情報発信の貧弱な状況が浮き彫りになってくるのです。

「答申」では我が国の発信力を強化して、日本の理解者とファンを増やすための施策の一つとして、「テレビ国際放送の拡充」をうたっています。そのなかで、テレビ国際放送の面で欧米や中国などに遅れをとっていることを認め、早急に「日本関連情報の提供を行う専門チャンネル」を設立して「受信環境を改善」する必要性を説いています。さらに、平成19年から米国ワシントンにおいてNHKワールドTVのケーブル放送が試験的に始められたことも明らかにされています。

しかし、それにしても遅すぎるような気がします。高度経済成長を成し遂げ世界の経済大国となった頃に当然手がつけられているべきはずのことが、つい最近になってようやく論議され始めたとは・・・。以前からラジオに限らずテレビでも英語による日本の国際衛星放送が行われてはいるそうですが、「やっている」だけではだめでしょう。「その結果がどうなのか」・・・・とまでは言えなくとも、せめて「その方法が適切かどうか」をチェックする機能はなかったのでしょうか。


明治日本の危機意識

波蘭懐古

波蘭懐古 日露戦争前の明治26(1893)年、ベルリンの駐在武官であった陸軍の福島安正少佐は、ロシアの内情を偵察するために単騎でシベリアを横断して帰国します。歌人の落合直文はこの壮挙をもとに『波蘭懐古』という旅情歌を書きました。その一節です。 「・・・・・・・・さびしき里にいでたれば ここはいづことたづねしに 聞くもあはれやそのむかし 亡ぼされたる波蘭・・・・・・・・」  この詩は明治時代の小学校唱歌として広がり、太平洋戦争中も日本の兵士が苦しい行軍のときに好んで歌ったと伝えられています。おそらく、この詩がきっかけとなって、ポーランドという国名が日本で広く知られるようになったのではないかと考えられます。ただ、この歌で描かれているポーランドは、厳しい寒さや孤独と闘いながら異国の辺境を旅する軍人を叙情的に演出する背景でしかありません。当時日の出の勢いで国際社会の舞台に登場した日本からすれば、この詩に描かれている「亡ぼされたる波蘭」は「淋しさ」や「哀れさ」を象徴する心象風景にすぎなかったのかもしれません。

単騎遠征録

単騎遠征録 しかし、同じ時期に編まれた福島安正少佐校閲・西村時彦編による『単騎遠征録』には、ポーランド王国の消滅に触れたくだりがあり、当時の軍人が海外の情勢や歴史文化について、簡潔ながら客観的な情報分析をしていたことがうかがえます。
 当時、東アジアで膨張しつつあった帝政ロシアの軍事力に脅威を感じていた明治時代の政治家や軍人にとって、ポーランド王国の滅亡は決して遠い国の過去の話ではなかったはずです。・・・優れた国民や精強な軍隊をもってしても、政治がそれらを上手く活かすことができなければ、国は滅亡する・・・。この一文に込められた危機意識こそが、明治の先人達が列強の植民地帝国主義から日本の独立を守り抜く原動力となったのではないかと感じます。『単騎遠征録』は公開された記録ですが、軍上層部にはさらに詳細に分析した報告がされているはずで、そこには更に詳細なポーランド情報とその分析が見られたのではないかということが想像されます。

それにしても、「上は政権の与奪に壊れ、下は選挙の紛争に疲れ、・・・民の良も兵の強も用ゆる所以を知らず・・・」とは・・・。最近の日本の状況を考えると不気味なほど似ているという気がしてなりません。思い過ごしであればよいのですが・・・。(2012年春)

『單騎遠征録』の詳細は、
「『單騎遠征録』を読む」または「シベリア単騎横断」でご覧いただけます。


騎兵
(写真:第一次世界大戦頃のポーランド騎兵に扮した兵士:ヴィラノフの時代祭りにて)

次頁ではポーランドが歩んだ過酷な歴史についてお伝えします。
►次ページ「激動の歴史と不屈の魂」に進む►


ウヤズドブスキー宮殿(ワルシャワ)

ウヤズドブスキー宮殿(ワルシャワ)

    
図 書
『善意の架け橋-ポーランド魂とやまと心-』兵藤長雄 1998 文藝春秋
『ポーランドの歴史』イェジ・ルコフスキほか 2007 創土社
『ポーランド学を学ぶ人のために』渡邊克義ほか 2007 世界思想社
『旅の指さし会話帳』岡崎貴子 2004 情報センター出版局
『ポーランド電撃戦』山崎雅弘 2010 学研M文庫
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映画と祖国と人生と…
地下水道 undercurrent
戦いのあとの風景   Blu-ray
カティンの森 [DVD]

これだけは知っておきたい日露戦争の真実―日本陸海軍の「成功」と「失敗」

世界史の中の日本 本当は何がすごいのか

日本とアジアの大東亜戦争―侵略の世界史を変えた大東亜戦争の真実 (もっと日本が好きになる親子で読む近現代史シリーズ)

ポーランド孤児・「桜咲く国」がつないだ765人の命

ワルシャワの秋 [竹内結子/坂口憲二] [レンタル落ち]

日本・ポーランド関係史

日本人はとても素敵だった―忘れ去られようとしている日本国という名を持っていた台湾人の心象風景 (シリーズ日本人の誇り)

世界が愛した日本 戦場に舞い降りた奇跡の感動秘話 (竹書房文庫)

少年の日の覚悟―かつて日本人だった台湾少年たちの回想録 (シリーズ日本人の誇り)

帰らざる日本人―台湾人として世界史から見ても日本の台湾統治は政策として上々だったと思います (シリーズ日本人の誇り 2)

フィリピン少年が見たカミカゼ―幼い心に刻まれた優しい日本人たち (シリーズ日本人の誇り 7)

インドネシアの人々が証言する日本軍政の真実−大東亜戦争は侵略戦争ではなかった。 (シリーズ日本人の誇り 6)

台湾人と日本精神(リップンチェンシン)―日本人よ胸をはりなさい (小学館文庫)

2時間でわかる 日本と世界の領土問題

いま知りたい学びたい日本の領土と領海―写真と図解で日本の領土がよくわかる! (にちぶんMOOK)

やっかいな隣人韓国の正体―なぜ「反日」なのに、日本に憧れるのか

韓国併合への道 完全版 (文春新書 870)

ひと目でわかる日韓・日中 歴史の真実

韓国人が書いた 韓国が「反日国家」である本当の理由

反日マスコミの真実2014 (撃論)

反日韓国 ヤバすぎる正体 (別冊宝島2134)

韓国 反日感情の正体 (角川oneテーマ21)

日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか (徳間文庫)