ポーランドギャラリー

Poznań  ポズナニ

古くはポーランド王国の首都だったこともあるポズナニ(Poznań)は、人口約58万人、ポーランド西部の商工業都市です。第二次世界大戦で市街の大半が破壊されましたが、ワルシャワ同様、残された資料をもとに昔通りの街並みが蘇りました。社会主義体制下の1956年には、生活改善を求める市民のデモを当局が弾圧し、多数の死傷者を出しました。連帯活動による民主化運動に先立つ10数年前のことです。

ポズナニポズナニポズナニ
ワルシャワ~ポズナニ間の沿線
車窓に広がる一面の麦畑
ポズナニの可愛らしいトラム
ポズナニポズナニポズナニ
ポズナニは波蘭王国黎明期の
首都だった時代があるのだ
そういえば街のいたる所に
ポズナニポズナニポズナニ
歴史を感じさせる重厚な建物が
静かな時間をまとってたたずむ
アダム・ミツキェヴィチ大学は
ポズナニポズナニポズナニ
ポーランドを代表する大学だ
生活の身近には豊かな緑がある
街中の平凡な公園の一つだが
ポズナニポズナニポズナニ
自然の中で気持ちが癒やされ
公園で見つけた金髪の毛虫や
ただの石畳にも美しさを感じる
ポズナニポズナニポズナニ
10世紀創建のポズナニ大聖堂
まもなく夕暮れだ
明日も晴天でありますように
ポズナニポズナニポズナニ
ポズナニ大聖堂正面
ポズナニ暴動記念碑
平和の鐘

Toruń  トルニ

コペルニクスの生誕地として有名なToruń(トルニ)はポーランド中北部の工業都市で、人口約20万人、近くには日本の大手家電メーカーの工場も進出しています。14世紀にはドイツ騎士団の拠点の一つとして繁栄しますが、1410年のグルンヴァルトの戦い(タンネンベルクの戦い)でドイツ騎士団は大敗し、やがてポーランド王国の支配下に入ります。第二次世界大戦では幸いにも戦火を免れ、中世のままの旧市街が残っています。

トルニトルニトルニ
ポズナニからトルニへの車窓
トルニ近郊の田園風景
トルニはコペルニクス生誕の地
トルニトルニトルニ
市庁舎前に建つコペルニクス像
コペルニクスが生まれた家
旧市街広場に面した旧市庁舎
トルニトルニトルニ
旧市庁舎望楼からの眺め
間近に見える聖霊教会の尖塔
巨大な屋根の聖母マリア教会
トルニトルニトルニ
偉容を誇る聖ヨハネ大聖堂
聖ヨハネ大聖堂鐘楼を見上げる
13~14世紀頃ドイツ騎士団は
トルニトルニトルニ
ポーランドに勢力を伸ばしたが
タンネンベルクの敗北後衰退し
ポーランド王国の支配下に入る
トルニトルニトルニ
かつての強者どもの居城も
今は子供達の格好の遊び場
ドイツ騎士団の夢の跡
トルニトルニトルニ
新市街広場と聖ヤコブ教会
多数尖塔の聖カタリナ教会
優美な姿の聖ステファン教会
トルニトルニトルニ
西隣は瀟洒な煉瓦造りの市庁舎
その北には民族博物館
屋根に目がついたような窓
トルニトルニトルニ
花壇の青い花は勿忘草のようだ
冬が厳しいほど春の花は美しい
残念ながら博物館は休館日
トルニトルニトルニ
博物館隣の喫茶店で休憩
さらに旧市街でもまた休憩
旧市街を守る城門の一つ
トルニ車窓車窓
ワルシャワへ向かう車窓
のどかに草を食む牛
平和な農村風景が続く
車窓車窓車窓
森の陰にも牛や馬の姿を見る
広々とした草原と美しい森の国
小さな村にも必ず教会がある
車窓車窓車窓
人々は平和の尊さを知るが故に
祖国を思う気持ちも一入強い
この国では平和主義と愛国心が
車窓車窓車窓
矛盾することなく共存している
この国では当然のことなのだが
我が国ではどうなのだろうか?
ポーランド西部の田園風景
おうい、雲よ・・・

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ポズナニ

ポズナニ大聖堂

参考図書
『善意の架け橋-ポーランド魂とやまと心-』兵藤長雄 1998 文藝春秋
『ポーランドの歴史』イェジ・ルコフスキほか 2007 創土社
『ポーランド学を学ぶ人のために』渡邊克義ほか 2007 世界思想社
『旅の指さし会話帳』岡崎貴子 2004 情報センター出版局
『ポーランド電撃戦』山崎雅弘 2010 学研M文庫