遙かなるポーランド

日本とポーランドの距離

片思い

新婚カップル この国の多くの人がポーランドの東隣は日本だと感じている。残念ながら今のところ片思いではあるが・・・。」これは、ワルシャワ大学日本学科の先生の言葉です。
 同学科では、卒業後の就職率がそれほどよいわけではないにも関わらず、入学試験は毎年20~30倍という超難関です。学生の多くが日本への留学を希望し、毎年15~16名が念願の留学を果たします。大半の学生が大学5年間と大学院3年間、併せて8年の間に一度は日本留学をしていることになります。二度留学する学生も少なくありません。彼らは、仏教史、近世史、連歌、俳句、歌舞伎、祭祀などの研究を通して、日本に関する詳しい知識を有しており、日本文化や歴史に対する関心の高さや知識の豊富さは驚くばかりです。
 一般の人々の日本への関心も総じて高く、特に社会主義体制時代をよく知っている中高年以上の人々は、日本の技術力や経済力だけでなく、伝統文化・礼節・自由などにあこがれに近い気持ちを抱いています。(写真は相思相愛の新婚カップル。右端は友人のカメラマンだと思われます。)

日本から“遠い”わけ

北緯52度一方、日本におけるポーランドへの関心は残念ながらそれほど高くはありません。むしろ、一般的には極めて低いと言えるでしょう。私達日本人にとって、ポーランドという国はどうやら「遠い国、寒い国」というイメージが先行しているようです。確かに、サハリンと同じ高い緯度に位置し、平均気温も日本の東京や大阪に比べて10度ほど低いのも事実です。しかし、ロンドンもベルリンもワルシャワもほぼ同じ緯度なのです。ポーランドに限ってこのようにどちらかと言えば暗いイメージがつきまとうのには、他の理由があると考えられます。
 14世紀から17世紀初頭にかけてヨーロッパの大国として繁栄を極めたポーランドでしたが、18世紀末にロシア、プロシャ、オーストリアの3国によって分割され、以後123年間にわたって他国の支配を受けることになります。日本が鎖国を解いて世界に門戸を開いた頃、地図上にポーランドという国は存在しなかったのです。
 さらに、第二次世界大戦では、ナチスドイツに徹底的に痛めつけられ、アウシュビッツなどの強制収容所や絶滅収容所で多くの人々が虐殺されるなど、暗くて悲惨なイメージがどうしてもつきまといます。そして、戦後再び独立を取り戻したポーランドでしたが、ソ連の衛星国として鉄のカーテンの向こうに閉ざされてしまい、日本にとってますます遠い国となってしまったのです。

豊かな人的・文化的資源

ワルシャワ大学日本学科これまでのところ、ポーランドの多くの人々にとって、日本という国はとても親しみのある国であるようです。
 しかし、現在ポーランドは順調に経済発展しつつあり、若者の間にはアメリカ文化が急速に浸透しています。ポーランドの人々がいつまでも日本に高い関心を持ち続けるとは限りません。この国の人々は教育水準も高く、勤勉です。日本がこの国の文化的・人的資源の豊かさに目覚めて関心を抱き始めたとき、すでにこの国の人々の日本への関心が冷めていた、というようなことにならぬことを願っています。(写真:ワルシャワ大学東洋学部日本学科の研究棟)


日本の情報発信力

孤立した日本の姿

結論を言いますと、あらゆる意味で日本の国際的な情報発信は少なすぎると感じます。情報発信の姿勢がそもそも内向き、国内向けなのだと思います。

テレビ現地ワルシャワでケーブルテレビを契約すれば、およそ90チャンネルもの中から世界各国のテレビ番組を見ることができます。ポーランドの各放送局はもちろん、イギリスBBC、アメリカCNNやABCのほかにも、インドやタイの放送やアラビア語のアルジャジーラなども、見ようと思えば見ることができます。(もちろん言葉が分かりませんので本当に眺めるだけですが。)

テレビナッシングところがなぜか、その中に日本の放送は一局も見当たりません。たまに、現地局の一つで日本のアニメや古い日本映画を単発で流すくらいです。ケーブルテレビのリモコンをいじっていて感じるのは、国際社会の中で孤立したような日本の姿だったのです。

もちろん、それは現地のテレビ放送を見ながら感じたまでのことで、当時(海外在住時)はおそらく日本にとって認知度の低い国の特殊事情によるものなのだろうと思っておりました。そして、たぶん凡人には想像もつかないところで日本の積極的な情報発信やPRがされていて、この親日的な国の人々にも届いているに違いないと思っておりました。しかし、実はそうではなかったようです。

情報発信の姿勢と方法

ヨーロッパで日本の放送が見られないわけではありません。日本のテレビ番組を見るには、ロンドンから配信されている衛星放送「JSTV」なるものと契約をし、専用のチューナーとパラボラアンテナを取り付ける必要があります。日本の主要なテレビ番組を見ることが出来るのはありがたいことですが、1チャンネル(現在は2チャンネル)だけの視聴に、入会金150ユーロ、視聴料月額50ユーロですので、決して安くはありません。

ここに素朴な疑問がわいてきます。・・・JSTVは、欧州に駐在する日本人に有料で放送を配信するという商業運用が目的なのでしょうが、はたしてそのような内向きの発想だけでよいのだろうか。各国のケーブルテレビに参入し、どこかのチャンネルで常時日本の文化発信をするというような外向けの戦略的な運営はできないのだろうか・・・。

というのも、日本を好意的に理解しようとしている人々の場合でも、その作ったものを見たり話を聞いたりすると、どこか微妙なところで中国・東南アジアの生活文化様式と混同されているように感じることがあるからです。日本の文化が断片的にしか伝わっていないのです。その人々の責任ではありません。日本の情報発信方法の問題だろうと思います。

パラボラ世界中には日本文化に関心をもつ人がたくさんいると思いますが、海外在住の日本人以外で個人的にわざわざ専用のパラボラアンテナを設置してまで衛星放送を受信しようとする人は限られてくるでしょう。日本を正しく理解してもらうためには、関心のある人がいつでも手軽に情報を得ることができる方法や環境を用意することが必要だと思うのです。

日本の貧弱な国際情報発信力

実は、日本の情報発信方法についての審議が始まったのは、平成17年以降だったのです。次は、平成20年2月の「海外交流審議会答申」の抜粋です。 情報発信

さらに、この答申には参考資料として、各国の「国際放送発信状況」が添付されています。これによりますと、NHKの国際情報発信力は、アメリカCNNやイギリスBBCの10分の1程度、中国CCTVや韓国アリランTVに比べても数分の1しかないという事実をどう受けとめればいいのでしょう。NHKは過去数十年何をしていたのだろう。そして国はどう指導してきたのだろう。 情報発信

遅すぎる対応

いつの時点での調査なのかこの資料では分かりませんが、おそらくこの審議が始まった平成18年以降のものであろうと推測できます。ともかく、この資料からも日本の国際情報発信の貧弱な状況が浮き彫りになってくるのです。

「答申」では我が国の発信力を強化して、日本の理解者とファンを増やすための施策の一つとして、「テレビ国際放送の拡充」をうたっています。そのなかで、テレビ国際放送の面で欧米や中国などに遅れをとっていることを認め、早急に「日本関連情報の提供を行う専門チャンネル」を設立して「受信環境を改善」する必要性を説いています。さらに、平成19年から米国ワシントンにおいてNHKワールドTVのケーブル放送が試験的に始められたことも明らかにされています。

しかし、それにしても遅すぎるような気がします。高度経済成長を成し遂げ世界の経済大国となった頃に当然手がつけられているべきはずのことが、つい最近になってようやく論議され始めたとは・・・。以前からラジオに限らずテレビでも英語による日本の国際衛星放送が行われてはいるそうですが、「やっている」だけではだめでしょう。「その結果がどうなのか」・・・・とまでは言えなくとも、せめて「その方法が適切かどうか」をチェックする機能はなかったのでしょうか。


明治日本の危機意識

波蘭懐古

波蘭懐古 日露戦争前の明治26(1893)年、ベルリンの駐在武官であった陸軍の福島安正少佐は、ロシアの内情を偵察するために単騎でシベリアを横断して帰国します。歌人の落合直文はこの壮挙をもとに『波蘭懐古』という旅情歌を書きました。その一節です。 「・・・・・・・・さびしき里にいでたれば ここはいづことたづねしに 聞くもあはれやそのむかし 亡ぼされたる波蘭・・・・・・・・」  この詩は明治時代の小学校唱歌として広がり、太平洋戦争中も日本の兵士が苦しい行軍のときに好んで歌ったと伝えられています。おそらく、この詩がきっかけとなって、ポーランドという国名が日本で広く知られるようになったのではないかと考えられます。ただ、この歌で描かれているポーランドは、厳しい寒さや孤独と闘いながら異国の辺境を旅する軍人を叙情的に演出する背景でしかありません。当時日の出の勢いで国際社会の舞台に登場した日本からすれば、この詩に描かれている「亡ぼされたる波蘭」は「淋しさ」や「哀れさ」を象徴する心象風景にすぎなかったのかもしれません。

単騎遠征録

単騎遠征録 しかし、同じ時期に編まれた福島安正少佐校閲・西村時彦編による『単騎遠征録』には、ポーランド王国の消滅に触れたくだりがあり、当時の軍人が海外の情勢や歴史文化について、簡潔ながら客観的な情報分析をしていたことがうかがえます。
 当時、東アジアで膨張しつつあった帝政ロシアの軍事力に脅威を感じていた明治時代の政治家や軍人にとって、ポーランド王国の滅亡は決して遠い国の過去の話ではなかったはずです。・・・優れた国民や精強な軍隊をもってしても、政治がそれらを上手く活かすことができなければ、国は滅亡する・・・。この一文に込められた危機意識こそが、明治の先人達が列強の植民地帝国主義から日本の独立を守り抜く原動力となったのではないかと感じます。『単騎遠征録』は公開された記録ですが、軍上層部にはさらに詳細に分析した報告がされているはずで、そこには更に詳細なポーランド情報とその分析が見られたのではないかということが想像されます。

それにしても、「上は政権の与奪に壊れ、下は選挙の紛争に疲れ、・・・民の良も兵の強も用ゆる所以を知らず・・・」とは・・・。最近の日本の状況を考えると不気味なほど似ているという気がしてなりません。思い過ごしであればよいのですが・・・。(2012年春)

『單騎遠征録』の詳細は、
「『單騎遠征録』を読む」または「シベリア単騎横断」でご覧いただけます。


騎兵
(写真:第一次世界大戦頃のポーランド騎兵に扮した兵士:ヴィラノフの時代祭りにて)

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ウヤズドブスキー宮殿(ワルシャワ)

ウヤズドブスキー宮殿(ワルシャワ)

    
参考図書
『善意の架け橋-ポーランド魂とやまと心-』兵藤長雄 1998 文藝春秋
『ポーランドの歴史』イェジ・ルコフスキほか 2007 創土社
『ポーランド学を学ぶ人のために』渡邊克義ほか 2007 世界思想社
『旅の指さし会話帳』岡崎貴子 2004 情報センター出版局
『ポーランド電撃戦』山崎雅弘 2010 学研M文庫